昨日おとといと、きれいな星空の夜が続いた。
ニセコへ来て、他の土地を車で訪ねて行った時も感じていたことが一つ。
うまく言えないのだけど、北海道の木々や草達は、どことなく寂しそうなのだ。
寂しいというよりも、「え?なに?別に〜」とでも言いそうな、嬉しい喜びみたいなのがイマイチないのだ。
北海道は確かに自然が豊かだ。
どこを向いても山とか畑とか空とか川とか山とか山とか山とか〜?!
緑はいっぱいだ。
道沿いの草は本州のものに比べてメチャデカイし、
フキの葉っぱなんてオバケみたいにデカクて、トトロにピッタリサイズ!
だけど、何かが違うのだ。
それがずっと気になっていた。
どうもこれはその土地の人々との関わりに関係しているような気がしてならない。
東京の木々達も、くつきの森の木々達も
自分の使命感に燃えていた。
人がやってきて、自分を見たり触れたりして、喜んでくれる。
木々達は、その、自分が誰かの役に立っているってことが嬉しくてたまらないのではないか?
すごく張り切ってるように見えるのだ。
でも北海道では、木があることなんて何でもないことなわけで
あって当たり前の世界である。
旅行者は喜ぶだろう。
でもそれは北海道の広さであったり、景色であったりして
一本一本の木々や草が対象ではないことがほとんどだと思う。
山菜採りの時期だけは、お目当ては山菜onlyで、これまたビミョー。
ただ存在しているだけの日々を過ごす木々や草達は
やっぱり無表情みたいに見えてしまう。
でもウズラにとっては有り難い存在だ。
アイスフェイスにとって、今住んでいるこの森の中はホントにちょうどいい環境だ。
だからしょっちゅう、この木にもあの木にも、この草花にもこの土にも
自転車で一人下って行く時にお礼を言ってます。
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